あるクライアントのビジネスコンセプトについて、
企画書の構成案をAIと一緒に検討していた。
特定の顧客像を起点に、
行動や感情の流れから構成を組み立てる。
方向性としては、すでに一案できていた。
論理的には成立している。
説明も通る。
ただ、どこか引っかかる感覚があった。
言葉にはできないが、何かが違う。
その違和感を確かめるために、
別のAIに同じ内容を投げた。
すると、最初の案とは少し違う整理が返ってきた。
さらに別のAIにも聞いた。
今度は、また別の整理が提示された。
複数の案が並んだ。
どれも同じように見える。
顧客の感情変化を扱い、
状態の変化を軸に構成されている。
しかし、読み進めると違和感があった。
ある案は、ある瞬間の心理トリガーを強く切り取っている。
別の案は、時間の流れの中での変化を重視している。
また別の案は、状態の定義そのものが微妙に違っていた。
同じ構造に見えるが、
見ているポイントが少しずつずれている。
一見すると違いは分からない。
しかし、真剣に読むと、
主張が違っていることだけは分かる。
違いはある。
ただ、それを言葉にするのに時間がかかる。
整理するために、
それぞれのAIに前提を出させた。
どのような解釈で、
この構成になっているのか。
返ってきた内容は整っていた。
論理は明確で、
それぞれの案が成立する理由も説明できた。
それでも、
どれを採用すべきかは決まらなかった。
違いはある。
しかし、その違いを特定するのに時間がかかる。
比較はできる。
説明もできる。
それでも、
どれを選ぶかだけが決まらない。
ここで初めて気づいた。
判断が止まっている原因は、
選択肢が多いことではなかった。
“違いを処理する負荷”そのものが、判断を止めていた。
最初は、単純な違和感だった。
それを確かめるために、外部視点を入れた。
すると、判断は次の段階に移った。
正しいかどうかを選ぶ段階から、
前提の違いを理解する段階へ。
さらにそこから、
微細なズレを読み取る段階へ。
問題は、この最後の段階だった。
ズレは存在するが、
一読では判別できない。
精読すれば分かる。
しかし、その分コストがかかる。
視点を増やしたことで、
判断は“すぐに選べるもの”ではなく、
時間をかけて読み解く必要のある解析作業に変質していた。
しかもその作業は、
AIに任せることができない。
最終的には、
人間が一つひとつの違いを読み取り、
意味を解釈しなければ判断できない。
外部視点は、判断を助けるとは限らない。
むしろ、
判断対象が「選択」である限りは有効だが、
「差分の解析」に変わった瞬間に、負荷を増幅させる。
今回起きていたのは、
選択肢が増えたことではない。
精度が上がったことでもない。
判断の性質そのものが変わっていたことだった。
違和感を解消するための行為が、
判断のレイヤーを引き上げてしまう。
その結果、
処理できないレベルの比較が発生し、
判断が止まる。
違和感があるとき、
人は情報が足りないと考え、外に答えを求める。
しかし今回起きていたのは、
違和感の中身が分からないまま、
そのまま外に問いを投げていた状態だった。
結果として、
情報だけが増え、判断は進まなかった。
振り返ると、
外に答えを求めるよりも前に、
その違和感が何なのかを言葉にしようとする方が、
早かったのかもしれない。