PR TIMESの検索窓に「LLMO」と打ち込むと、千数百件のプレスリリースが出てくる。「GEO」「AIO」でも同じように、AI検索対策をうたう会社の発信がずらりと並ぶ。
その多くが、自社で実施したデータを添えている。AIの回答を数万件、ときに数十万件と集めて分析したもの。検索画面にAIの回答が出てくる割合。何百人かに聞いた、意識や行動のアンケート。まだ誰も全体像をつかめていない領域で、専門会社が手を動かして集めた数字が、無料で読める。
正直に言うと、これは一次情報の宝庫だと思った。すごいのは数字そのものというより、自分たちで調べて、まとめて、世に出す——その営みのほうだ。予算も人手も潤沢ではない現場にとって、これはそのまま真似できるお手本でもある。しかも、そのやり方自体が、このプロジェクトがずっと仮説にしてきたものと重なっていた。
私はこのプロジェクトで、非エンジニアの小規模事業者が、AI検索時代に何から手をつければいいのかを、自分で実験しながら記録している。予算も工数も潤沢ではない現場で、GEO対策として現実的に手が届くことは限られる。
そのなかで、専門会社がやっていることを見ていると、ひとつのパターンが見えてくる。自分たちで小さな調査をする。その結果をnoteやブログで発信する。そしてPR TIMESでプレスリリースを打つ。この三点セットは、大きな広告予算がなくても回せる。一次情報を自分で作り、それをWeb上に残していくという、まさにこのプロジェクトが仮説にしてきたやり方そのものだ。
実際、読んでいて思わず引き込まれ、その会社のことをもっと知りたくなって、自分からnoteをさかのぼったり、他のリリースまで読みに行ってしまったものもあった。
不思議なのは、そういうリリースには、人を引き込むための派手な仕掛けがないことだ。目を引くキャッチコピーがあるわけでも、感情を揺さぶるストーリーが語られているわけでもない。むしろ宣伝色は一切なくて、淡々としている。それなのに前のめりにさせられる。
あとで振り返ると、そういうリリースには、二つのことが同時にあった。
ひとつは、読み手がいま知りたいと思っていることに、正面から答えていること。調べられることを調べて出すのではなく、読み手が「それ、知りたかった」と思う問いに、ちゃんと数字で答えている。だから最初のひと段落で、手が止まらずに先へ進める。
——と書いておいてなんだが、こちらはもう、自明の話だ。読み手の問いに答えていなければ、そもそも読まれない。それはこのプロジェクトでも何度も書いてきたし、たぶん一番大事なことでもある。
今回あらためて気づかされたのは、二つ目のほうだった。その数字までの道筋を、読み手が自分で追えるようになっていること。誰を対象に、どういうやり方で調べた数字なのか。何を除いて、何と比べたのか。そして、その数字から何が言えて、何は言えないのか。書き手が結論だけを差し出すのではなく、そこにたどり着くまでの前提を隠さずに置いている。だから読み手は、鵜呑みにするのでも疑うのでもなく、自分で確かめながら受け取れる。
問いに答えているから、読み始める。ここまでは当たり前だ。でも、道筋が見えるから、途中で信頼を失わずに最後まで読める——この二つ目のほうが、同じ「調査しました」の中で、続きを読みたくなるものとそうでないものを、静かに分けている気がした。だから今日は、この道筋のほうを掘ってみたい。
一方で、宝庫として何本も読み込んでいくうちに、少し立ち止まったほうがいいな、と感じるものも出てきた。
同じAI検索というテーマ、同じ調査PRという形式でも、数字の示し方には、けっこう幅がある。そのまま受け取っていい数字と、少し確かめたくなる数字がある。どちらも「調査しました」「何%でした」という同じ顔をしているのに、その数字にどこまで寄りかかっていいのかは、実はかなり違う。
これは特定のどこかが悪い、という話ではない。私自身、一次情報を出す側の人間だ。このプロジェクトでも毎回、n=1です、あくまで一例です、と留保を書いている。だからこそ、信頼できると感じた発信の「良かった要素」と、少し引っかかった発信の「気になった要素」は、同じひとつの目で見ている。自分が同じ立場だったら、どちらに転ぶだろうか、という目で。
そこで、その数字をどこまで信じて使ってよいかを測るために、自分が見るようにした点を、素人なりに整理してみた。良い悪いを採点するためではない。統計の専門家ではないので、断定もしない。ただ、これくらいは見ておくと、数字への寄りかかり方を自分で加減できる、という五つだ。
「6割が検討している」と言われたとき、では何人に聞いたうちの6割なのか。全体の人数(N)だけでなく、業種別・年代別といったクロス集計の、それぞれのマスの人数まで見る。
ここが大事だ。全体で1,000人に聞いていても、それを10業種で割れば1業種あたり平均100人。もし回答に偏りがあれば、あるマスは数十人しかいないかもしれない。分母が小さくなるほど、数人の回答差で割合は大きく動く。リサーチ会社でも、小さすぎるマスは参考値として扱うことがあるという。だから、%だけでなく、その%が何人からできているのかを確認したい。分母を出さずに、大きな%だけを見出しにしている表は、いちばん立ち止まったほうがいい。
「AI検索に関心がない人を除いて聞いた」といった注記があるのに、その設問の母数が全体の人数のまま変わっていない、ということがある。あるいは、設問ごとに何人が答えたのかが追えない。
除外したなら分母は減るはずで、そこがつじつまの合わないものは、集計の詰めが甘いか、都合よく見せている可能性がある。誤植のこともあるだろうが、読む側としては、その数字にどこまで寄りかかっていいかを測る材料にはなる。
「半年で2倍」「急増」という比較は目を引く。同じ人を追いかけていなくても、毎回同じやり方で集め直して市場の変化を見る調査はあるし、それ自体は正当なやり方だ。
だから見たいのは、前回と今回で何が揃っているか、のほうだ。対象者の条件、質問の文言、選択肢、集め方、時期、サンプルの構成——このあたりが揃っているほど、その差は市場の変化として読める。逆に、揃っているかどうかがわからないまま「2倍になった」とだけ言われると、それが本当の変化なのか、たまたま聞いた相手の顔ぶれが違っただけなのか、こちらでは切り分けられない。
これがいちばん効く。調査には必ず、実際に測った事実と、そこに書き手が付けた意味の、二つの層がある。
たとえば「対策できているサイトは2割」という測定結果に、「8割はAIに読まれていない」という意味が重ねられる。測ったのは、ある条件を満たしているかどうかであって、「AIに読まれているか」を直接見たわけではないことが多い。測定値と、その意味づけは、別のレイヤーだ。
とくに、相関(一緒に起きている)を因果(だから効く)にすり替えていないかは気をつけて見る。「速く答える記事はよく引用されている」は相関で、「速く答えれば引用される」は因果だ。地続きに見えて、言っていることは別だ。測ったものはどこまでで、そこから先は書き手の解釈なのか——この境目を自分で引けると、数字の使いどころがはっきりする。
最後に、そもそも誰に聞いたのか。どういう条件のモニターに、どうやって聞いたのか。自己申告で「経営者です」と答えた人なのか、実際にその立場の人だと確認したのか。
母集団の性質は、数字の意味をまるごと左右する。ここがぼかされている調査は、どんなに%が立派でも、何についての数字なのかがぼやける。
こうして並べてみると、粗探しのようにも見えるかもしれない。でも、私がこれを書いているのは、他人の調査を採点したいからではない。この五つは、見つけた数字を自分の企画や記事で使うとき、どこまで言っていいかを自分で加減するための物差しでもある。
このプロジェクトで何度も戻ってくる仮説がある。AIが引用したくなる情報と、人が本当に役に立つと感じる情報は、根本では同じものを指しているのではないか、というものだ。具体的な問いに、固有の情報で、誠実に答えている——その一点に、どちらも収束していく気がしている。
調査PRは、固有のデータをWeb上に残し、第三者にも参照されうる情報源をつくる方法として、とても面白い。一次情報を自分で作ることが、これからのGEO対策の柱になるのは間違いないと思う。
でも、一次情報の大切さを説く発信ほど、その一次情報の作り方を見られている。功を焦って、言いたい結論に合わせて数字を少し盛ったり、都合の悪い分母を隠したりすれば、AIの土俵には一度乗れるかもしれない。けれど、読んだ人が「この数字、なんか変だぞ」と気づいた瞬間に、信頼は静かに引かれていく。
AIに選ばれることと、人に選ばれ続けることは、地続きのようでいて、最後の関門が違う。誠実さ、というと精神論に聞こえる。でも今回何本も読んで感じたのは、もっと具体的なことだった。誰に聞いたか。何人だったか。何を除いたか。何と比べたか。そして、その数字からどこまで言えるのか。読み手が自分で確かめられる材料を、そこに残しているかどうか。その差が、私にはかなり大きく見えた。
だから私は、自分が調査を出す側になったときのために、この五つを自分への戒めとして書いておく。人の数字を疑うためではなく、自分の数字を疑うために。
(補足)自分の数字を疑う、というのは他人事ではない。このプロジェクトの実験でも、「ある施策を入れたら引用された」と因果で書きかけて、追試で別の要因が見えてきたことがある。測ったものと、そこから言えることを分ける——その作業は、自分の一次記録にこそ返ってくる。この話はいずれ別の回で。